この新月では、世界の重苦しさを感じて体のだるさや気持ちの落ち込みが起こり、困惑が体験される集いでした 私たちは長い習慣の中で、自分の体で受けとめた感覚を、本当のわたしのものと勘ちがいし続けます 動揺が起こるのは、”私とは、この心と体だ”という、おなじみの五感や直感を味わっているにすぎません 外であろうと内であろうと、どのような揺さぶりがやってきても、ただそれをそのまま観察すること それらは、ただ消え去るために浮かび上がってきているだけです 今この瞬間のあらわれを、ただきれいに片づけてゆきましょう ”観ること”とは、本来のわたしのやわらかな光が、すべてを灯すことを意味します それは影さえつくることのない、淡いやさしい明かりです すっかり慣れきってしまったこの心と体には、もう惑わされないという準備ができているように感じる集いでした

気持ちよく晴れわたる秋晴れの満月の日には、新月であらわれたことを、より細やかに確かめてゆく分かちあいがありました まわりを見渡すと、皆自分よりも活躍したり成功しているように感じ、焦りが生まれます それもまた、私たちが肉体の目で見た時の、単なる比較のクセにすぎません 内なる真実へと向かうとき、私たちはより細やかな内なる六感で、本当は何が起こっているのかをとらえてゆくようになるでしょう 前へ前へと急ぎ駈けてゆく人たちへ、歓んで、道をゆずりましょう 先をゆずり、そして最後尾にいましょう 誰にも邪魔をされることのない、ゆったりとしたスペースの中で、本来の流れ、命を味わい楽しみます すると、いつの間にかそこは、皆の先頭になっているのです それはまさに、これまで賢者たちが静かに伝えてきてくれた、叡智にあふれる生き方です 真実に生きる人は、決して競争や争いの中で乱暴に手荒く扱われることなく、大切に守られ、すべてから面倒を見られてゆくでしょう

静かな雨の降る新月の午後に、オープンサークルを開きました 本当のわたしと内側で直接出会うこと、そしてそれをそのまま生きることは、1度の人生で2度この世に生まれることに例えられます 本当のわたしの人生を生きるために、私たちは少しずつ、幻のわたしの死を看取る準備をします そこには、想像を超える恐れもやってくるでしょう そしてそれは、最奥に眠る真の勇気が目ざめる瞬間でもあります 私たちの思考や分析ではとうてい理解することのできない、すべてのコントロールから解放される瞬間 この本来の生命力が息を吹き返す準備が、満月へ向けて淡々と進んでいることを感じるひとときでした

ウォーキングメディテーションで皆と歩いたあぜ道の風景 北アルプスの山々をのぞみます

台風が過ぎ去り、真新しい秋の空気が広がる安曇野で、サイレントリトリートを開催しました

このリトリートでは、沈黙の中で思考や感情を観察し、どのような創造が起こってもすぐに呼吸へ還ることを意識して過ごしました わたしたちの心と体は、何もせず静かに過ごすことが何よりも苦手ですから、あっという間に嵐を起こして、おなじみの言葉の渦に私たちを巻き込みます そのことに翻弄されたとしても、幻のわたしの涙ぐましい活動に微笑んで、また最初からやり直してゆきます

坐ること、呼吸すること、そして、内に流れる雄大な道を感じながら、ゆっくりゆっくりと歩むこと… どのような瞬間も、ていねいに内側とともに過ごすことで、これまで気づくことのなかった真実に、当たり前のように出会ってゆきます 数ミリ単位で体の調整が行われ、自然と美しくまっすぐな姿勢に出会われる方もありました それは、私たちが最もくつろぎリラックスした呼吸のできる、何より美しい調和の形でもあります お茶をいただく時間も、本当のわたしと深くつながりながら、安らぎと静けさと感謝の中で過ごします 一服のお茶が、体の中をすっと流れてゆくのを味わいながら、今この瞬間のわたしとつながることが、まわりのすべてとのコミュニケーションの実を結んでいる様を楽しみました

シャロムの意味は「平和」 セルフビルドで建てられた木のぬくもりが感じられるお宿です

分かちあいの時間では、私たちの心と体からあふれ出る言葉や表現を、勇気をもって形にするプロセスが続きました 私たちは洋服を着るように、心の見られたくない想いを隠せていると思っていますが、本当の想いは決して隠すことなどできません どの瞬間にもあふれ出るそのエネルギーは、言葉にならない言葉として訴え続けられます それをそのまま、ありのまま表現する瞬間が、参加者のすべての協力で生まれました それは、何十年にもわたって私たちの奥にしまわれた、魂の叫びのようにも聴こえました

その言葉に感動する人、深く傷つく人、腑に落ちる人… 私たちの心と体は瞬間瞬間、外側の現象に反応し、刻まれ、傷つくように創られています しかし、本当のわたしはかすり傷ひとつ負うことなく、ただただ満ちて穏やかに在り続けます それを直接内側で確かめられた時、私たちの心と体は自然に開かれ、あらゆるものがわたしを通り過ぎ、刻み、傷つけ、体験が起こることを許していくのです

そのことを真正面から受けとめ、この静寂の大仕事に圧倒される方もおられました それはまるで、地球の回転を素手で止めるようなものかもしれません しかし向かうところは、たった1つの真実のみ すべての存在に平等に開かれている、今この瞬間の広がり、恵み… それは決して誰にも知られることなく、たった今にしか開かれることのないもの そして永遠に開かれているものです

このリトリート中、終始、静けさの中にもお隣の森の幼稚園から、子どもたちの元気な声があふれていました また、私たちの歩みを、たくましい大地のように支え続けてくれた美味しいお食事の数々 命に満ちた食べ物は、少量でも充分に私たちに滋養を与え満たしてくれることを実感する毎日でした ありのままの命たちが、私たちを温かく見守り続けてくれました そして同じように沈黙の中で、私たちの歩みを静かに温かく支えてくださったシャロムヒュッテのスタッフの皆さまにも、心からの感謝を贈りたいと思います 本当に、ありがとうございました

命あふれるお食事の数々 石釜のピザもおすすめの一品です

中秋の満月、そして太陽の分岐点である春分秋分が近づく日に、オープンサークルを開きました

日本の皆さんには2ヶ月ほど夏休みをいただいていましたが、その間もそれぞれの日常の中で、新しい気づきが生まれ有意義に過ごされていたとの報告を聞き、うれしく思いました

私たちが心の奥底から欲しいと願うもの それは、もうすでに私たちの手の中にあります この一生では、とうてい使いきれないほどの恵みです 私たちはどこへも探しに行く必要はありません 手に入れようとするあらゆる作戦や努力を手放す時、命を消耗する生き方が、静かに終わりを迎えます

そのためには、わたしたちは本当の意味で”利己的に”生きなければならないでしょう 周りから自分勝手に思われないか、自己満足に陥っていると批判を受けないかなどと思い悩む必要はありません どのようなプレッシャーにも心を奪われず、今ここにある確かな恵み、幸せと出会います それはとてもやさしく、ぞんざいに扱おうものなら、あっという間に消えて無くなってしまうほどの繊細なものです 内なる幸せと、毎瞬出会うこと それはわがままなことでも何でもなく、まわりの問題や混乱に秩序をもたらし、きれいに片づけていくための最大の貢献となるでしょう ”〜ねばならない”という、私たちがかたくなに持ち続ける哲学も、そろそろ終わりにする時です

ニュージーランドで最も古いカウリの巨木 タネ・マフタ 「森の神」という名の神木です

ニュージーランドでの滞在もわずかとなり、滞在中お世話になったすべてに感謝をこめて、ワイポウア・フォレストにあるタネ・マフタへ挨拶に行きました 北島の北部エリアは、今もなお先住の方々が暮らす場であり、数々の聖地が守られています こちらの生活の中では、時折マオリ式の挨拶”ホンギ”をすることがあります ”お互いの呼吸を交換し、共有する”という意味があり、命の息吹が宿るといわれている鼻をお互いに触れ合わせることで、相手と一体になるのです 幸運にも、マオリ以前から在住するワイタハ族の方々との交流も静かに始まりました 彼らからシェアされる歌や叡智も、少しずつ皆さんと分かちあえたらと思っています

センターポールを囲み 調和のリボンを編みながら、みんなで歌います

桜が満開となった春分の日には、ローカルの友人たちと集い春分のセレブレーションを楽しみました 瞑想やチャンティング、歌やダンス、そして美味しいごちそう… 人生の恵みを余すところなく堪能し、分かちあいは夜遅くまで続きました 民族や国籍を超えた創造が、少しずつ動き始めています 瞑想の後、いつもチャンティングがわりに歌っている先住の方々の歌詞を、ここでも分かちあえたらと思います とてもシンプルで美しい旋律、日本の皆さんと、一緒に歌える日が楽しみです

Te Aroha (Love)
Te Whakapono (faith, respect)
Me Te Rangimarie (for all pathways and belief peace)
Tatou Tatou e (to each and everyone of us or we are all one people)

今月はニュージーランド在住の日本の方々と集い、新月の日にオープンサークルを開きました

願望を引き寄せる… という言葉に時おり出会いますが、私たちの心と体は磁石そのもの 常にものごとを引き寄せたり、反発して遠ざけたりしています そのあるがままに気づいている時、それは同時に起こっては消えゆくことを繰り返していることがわかるでしょう

願望を叶えたいという情熱 これは一体、どこからやってきているのでしょう 私たちの心と体は、両親や先祖たちから受け継ぐ、長年のやり残した仕事を片づけていこうとします 誰の欲望からも歴史からも影響を受けることなく、本当に自由に生きたいと願うなら、私たちは高尚な幻のプライド ースピリチュアル・エゴと呼ばれているようなー 高い志さえも手放していかなければならないでしょう

まずは、今この瞬間、自分自身をケアしましょう それはただ、内なる静けさと出会うことです 私たちは、自分以外のもの、例えばパートナーや子ども、ペットなどなど… へ愛情を注ぐことは、じつはとても簡単にやってのけます しかし、唯一の現実である自分自身を愛おしむことを、なかなか始めようとはしません この瞬間の命、呼吸、満ち足りたスペース… 本当の私とともに在り初めて、わたしからあふれ出るものが自然と周りをうるおしてゆくのです 悟りとは、命そのものに気づくこと 私たちがすべてを解放すれば、夢は自然と形になってゆくでしょう

ホームビーチの1つ マタウリ・ベイ イルカやクジラたちがやってきます

現在滞在しているケリケリという町は、マオリ語で「掘る、耕す」という意味を持つ場所です その名のとおり、至るところに果樹園や農園が広がり、肥沃な土地の恩恵を毎日のようにいただいています ここには世界各地から人が集まり、中でも、ハワイやタヒチの海の道を経てたどりついた海人たちも多く、お互いの探求の旅路をたたえながら、午後のティータイムがゆっくりと過ぎてゆきます

アートやカフェの文化が根づき、イルカたちがやってくるベイでシュノーケリングやサーフィンをしたり、瞑想やハープのセッションをともに楽しむ仲間にも恵まれました 豊穣なワイン畑、ネイティブツリーを育て植樹する時間… どういうわけかここには、私の好きなものばかりがそろっています チャルカを回して糸を紡ぐことを覚え、綿花を栽培して布を織る楽しみもできました

味わいきれないほどの恵みを与えられ、感謝が追いつかない毎日です ただ運ばれるままにここにやってきましたが、真実が用意してくれるものの無限の豊かさに、毎瞬驚くばかり すべてをゆだね信頼することの大切さを教えてもらっています

日曜日にはファーマーズ・マーケットへ お目当てのオーガニック製品を買いに出かけます

オーガニック・エコ・リトリート オラオラとは「健康」「幸福」というマオリ語です

  We gathered with local people in Kerikeri of New Zealand and held the first open circle this month.

  This full moon was a so exciting time with the special planetary aspects in decades, it is called “the Harmonic Convergence” or “The grand Sextile”. Meditations and prayers were offered around the world. Soon we might witness the moment that many histories, generated by our thinking, would be broken up silently and in sequence. Some participants experienced some transformations in waves of this change.

  The stories which our thoughts have made, differ in different culture and habits. It is unique. How to draw a line as the boundary between what means me, or not. In our daily life, showing Yes or No is clear. But if the boundary sometimes becomes too deep, it would cause oneself or others suffering. We shared that it was so important to take care of that only the one-line appeared in all our life.

  Our body and mind, which we have inherited from our ancestors, are not our true selves. True selves mean fresh and overflowing from your centre right now, it has nothing to do with past and future. It might be a little difficult to face this fact at first. However, our natural breathing is leading us to our true selves, everyday step by step. We need to be aware of our breathing that is most important.

ミツバチたちが元気に飛びまわる バイオダイナミック・ガーデン

今月はこちらニュージーランドのケリケリで、ローカルの皆さんと集い初めてのオープンサークルを開きました

この満月は、数十年ぶりに訪れる星々の配置とも重なり、世界各地で瞑想や祈りが捧げられるエキサイティングなタイミングでもありました 私たちの思考が生み出してきた数々の歴史が、また静かに、順序通りに、終わりを迎えてゆくのを目撃するかもしれません 参加者の中にも、今回の変容の波について、思い当たる経験をされておられるようでした

私たちが創り出す物語は、それぞれの文化や習慣の中でバラエティに富んでいます その中でも特に、私と私でないものを分かつ境界線の引き方は、どれもとてもユニークです 特にこちらの生活では、イエス・ノーを明確に表さなければいけませんが、時にその境界線があまりにも濃くなると、自分自身や周りの人たちを苦しめることへとつながります 日常のあらゆる場面で、目の前に現れるたった1本の線を観察してゆくことの大切さを分ち合いました 

先祖から受け継ぐこの心と体は、本当の私ではありません 何の歴史とも将来とも関係のない、たった今この瞬間にあふれているみずみずしいもの、それが本当の私です この事実と向き合うことは、最初は少し難しいかもしれません しかし日々の中で、私たちの呼吸が一歩ずつ、真実へとエスコートしてくれるでしょう 呼吸へ還ることの大切さを、確かめ合う集いとなりました

ケリケリリバートラックの最終地点 レインボーフォールズ

5月のブッダのセレモニーの後から、私はドイツ人夫妻が運営するオーガニックリゾートのコテージにお世話になっています ここは、ルドルフ・シュタイナーが提唱するバイオダイナミック農法を実践する農園を持ち、月の満ち欠けや惑星の動きによって種まきや収穫を行っています 特に満月や新月のボイドタイムには、活動をやめて静かに過ごします わたしも毎朝ガーデニングのお手伝いをしながら、こちらで育つ元気なお野菜をもりもりいただいています

生活のすべての営みが循環するよう、様々な工夫やアイデアのいっぱいつまった、自然豊かなリトリート施設です 敷地からは、レインボーフォールズへと続くケリケリ川のトラックがあり、木立の中をいつでも散策することができます 自然保護区にあるこのリゾート施設は歴史建造物にも近く、ニュージーランドの開拓の歴史にも触れることができます

インゲとロルフ夫妻は、エタニティの活動に関心を寄せてくださり、こちらでオープンサークルを開催するためのすべてのサポートを買ってでてくださいました 来年にはこの素晴らしいリゾートをお借りして、サイレントリトリートを開催するというアイデアも生まれています

ブッダの時代、仲間たちは雨期に集まり安居(あんご/リトリート)を行って、共に瞑想生活を送りました 数千年経った今でも、私たちの心と体は同じように、真実に生きる仲間と共に過ごそうとするのでしょう 緑あふれる至福のひとときを、ご一緒できる日を楽しみに…

何千年と続いてきた物語が、ゆっくりと静かに、終わりを迎えようとしているのでしょうか 私たちが真実と向き合うと決めるとき、そこには、たった1人の想いだけが存在しているのではなく、数えきれない人たちの物語が背景にあることを、思い知らされます

本当の自分と出会いたい、ただ、幸せで自由な人生を歩みたい… どれほど多くの想いが、今ここに、やってきているでしょう 無数の声にただただ圧倒され、言葉を失い、立ちすくむかもしれません だけど、大丈夫 私たちの足もとには、しっかりと支えてくれる、たくましい大地が横たわっています

オープンサークルでは、光と闇、あるいは波動を上げる下げる… などといった概念から、すっかり卒業しようとする人のための分かちあいが、続いています

時に私たちは、これまで不潔だと思ったり、品格がないと遠ざけてきたものと、向き合わざるを得ない瞬間がやってくることがあります そのように避けていたものの中にこそ、じつは自由への扉が用意されているのですが、まるで真実は、誰も好き好んでやって来ないようなところに、わざわざ大切に仕舞われているかのようです どのようなものにも善し悪しをつけず、日常の体験の中でそのままを味わうこと このことがどれほど大切な私たちの仕事であるのか、1人1人が実感されておられるようです

夏至やスーパーフルムーンなどの節目を迎え、悟りの体験を自然に受け容れられる方々の報告が、続いています 彼らの言葉からは、もうお金や家族関係、社会的な成功などという話しは一切出てこず、ただ”それ”と出会うという、真摯な想いだけがあふれています 私たちとのやりとりを漏れなくすべて受け取って、彼らはただ内側へ向かい、確かにそこに在るものに直接触れ、その歓びと感謝を、揺るぎのないクリアな言葉で分かちあってくれるのです

それは私たちにとって、何よりの歓びです それぞれの人生や日常の中で、思わぬ時、思わぬ場所で、”それ”はバラエティに起こるでしょう その流れにもう逆らうことなく、自分自身を差しだしゆだねる時、やさしく自然とその中に溶け入るような、永遠の瞬間が訪れるのです

ニュージーランドの北のさいはて ケープレインガ

日本で夏至を迎えるころ、こちらでは冬至の節目を迎えました 先住民マオリの人たちの伝統的な新年、”Matariki”(マタリキ)をお祝いするシーズンです マタリキとは、水平線にプレアデス星団が現れるころ ー日本では「昴」の名で親しまれていますがー この時から新しい1年が始まります この星団には”Eyes of Gods” 神の目という意味もあり、東の空に輝くスバルを見て、その年の運勢を占います 私はこちらの新年をお祝いするため、冬至の日の朝日を見に、レインガ岬へと向かいました

決して花を咲かせることのないポフツカワの老木を通り 魂は故郷へ還ります

ここはマオリの人々にとって、特に大切な意味を持つ場所です 私たちの肉体が死を迎える時、死者の魂はこの岬から、祖先の故郷と語り継がれているハワイキの島へと旅立ってゆきます ここは「魂が飛び立つ地」という伝承のある場所です ハワイキとは、ポリネシアの人たちの間で大切にされている、天地創造の神々が住む楽園です

前夜から続く激しい雨と風 それはちょうど、日本にも同じ頃台風がやってきたことと重なりました 日の出前には、雄大な龍のような雲のうねりが、北へと向けて一気に立ち去り、その後には美しい見事な日の出 そして海から直接立ちのぼる虹を臨むことができました タスマン海と南太平洋の2つの潮流が、ダイナミックにぶつかり溶け合う姿を、少しでも感じていただけるでしょうか 新しい年の始まりを、またちがう地でお祝いできる歓びの中で、静かに過ごしました

大海原の彼方の 友人たちを想いながら

真実について、ブッダは「無」と言い、ラマナは「在」と表現しました

どちらも正解であり、またどちらも、正確にはすべてを言い表わせていないでしょう 言葉や知的な解釈では、とうてい不可能なこと それは私たち1人1人が、自分自身の直接の体験の中で確かめてゆくしかありません

これまで信じてきた”仮そめの私”を、どうしても手放すことができない あるいは、せっかく努力し、勝ち取ってきたものが、すべて幻だったなど認めたくない… 憤りや失望が、絶え間なくやってきます 幻の私はさらに、常に完璧を求めます いつも50点をめざしてやりましょう、と言っているのは、やり過ぎず、なまけ過ぎず、ほど良いスペースを、真実のために空けておいてもらいたいからです

私たちがこの世に誕生して、まず最初にすることは何でしょう? そう、呼吸です そしてその次は? おっぱいを飲みます そう、食事をします そして、私たちが命を閉じる最後まで、忘れずにしていることは、何でしょう? ―そう、呼吸です...

この、とてもシンプルな事実に、私たちはほとんど気づくことはありません しかし、私たちはこれらを忘れず、言葉や知識で教えられることなく、自然に行ってきました これこそが、私たちが生まれながらに持っている、あるがままの姿です 私たちがオープンサークルで気づこうとしているのは、まさにこのことです

この当たり前の真実に気づく時、私たちはこんなにも近くに、豊かな恵みがあふれていたことを識り、驚きます 悟りを、もう特別なものにするのは終わりにしましょう これは、私たちが最も上手にやっている、当たり前のことなのです

清浄のための聖水を、ベイビーブッダにお供えします

こちらニュージーランドでは、静かで穏やかな瞑想生活が続いています ムーンカレンダー(太陰暦)を中心とする毎日で、旧暦の4月8日にはブッダの2,557回目のお誕生日をお祝いする、ウエサク祭りがありました ロータスランタンを手づくりし、皆で瞑想したあと、精進料理をいただきました

日本には、残念ながらブッダ直伝の教えは伝わらず、アジア諸国の思想が融合した”仏教哲学”が伝来しました しかし本来のブッダの教えは、とてもシンプル ”呼吸”という、これ以上簡単にはできないものを通じて、本来のわたしを見出し、今もなお、気づき(サティ)の大切さを私たちに教えてくれています

ブッダの生誕、成道、涅槃は、すべて5月の満月であったと伝えられています

知人の尼僧が運営する仏教センターでは、このいにしえのブッダの教えであるヴィパッサナー瞑想を伝えています 本来、仏教徒というのは、仏像を拝んだり念仏を唱えるのではなく、”瞑想者”を意味します このセンターは、手つかずの原生林に囲まれた広大な敷地にあり、目の前のブッシュでは、毎夜、ニュージーランドの国鳥で固有種でもあるキーウィの鳴き声がこだまします 新月の頃には、降り注ぐような満点の星々や流れ星を堪能でき、満月の頃には、サザンクロスやオリオンの三ツ星がやっと見えるほど、月光が闇夜を明るく照らします

アオテアロア ―白く長い雲のたなびく地― 空は次々と、表情を変えてゆきます

コテージからの朝焼け  この地球上で もっとも早く朝日がのぼります

私は今ニュージーランドの北島、ベイオブアイランズとよばれるエリアのケリケリという町の郊外にいます キリスト教の祝日、イースターホリデーの初日のグッドフライデーにこの地にやってきました キリストの死と復活へ想いを寄せながら、こちらでの滞在がスタート 日々の様子も、少しずつこの場でリポートしていけたらと思っています

さて、新月の日にはこちらからの初めてのオープンサークルを開催しましたが、インターネットの回線がうまくつながらないアクシデントがありました 核心を表現しようとする時、回線はいつもうまく切れるのです 私たちは、受け容れがたいことを、知らず知らずのうちに避けてゆく傾向があります どうしようもないみじめさや情けなさ どのような人の奥底にも沈んでいる、幻の私です しかし私たちは、この言葉にできないやるせなさへの一切の抵抗をやめ、どんな策略も手放して、ただこの瞬間の静けさに在ることができます 内なる地割れや津波がやって来たとしても、それを静かに受け止めることのできる強さを、持っているのです

満月のサークルでは、お金についての質問が多く寄せられました 特別な私どうしの関係 そこには、いつもお金が介在します 幻の私は、どうすればもっと多く取れるのか、もっと多く蓄えられるのかを常に考えます しかし、本来のわたしは、いつもどうすれば分かち合えるのかに意識を向けます いつも満ちてあふれ、ただ与えるのみです 今、多くの個人や組織がお金のやりくりに困っているのは、皆深いところで、本来のわたしを取り戻したいと思っている顕われのように、わたしには映ります このハードルは、おのおのがバラエティにつくった内なる幻のエベレストを、自ら崩していくほかはないでしょう だからこそ、それを日常の中で取り組りくんでゆくことが大切なのです 一流の科学者のまなざしを持って、精巧に観察してゆくこと それは、瞑想のマスターたちが深く内観していることと、何ら変わることはありません

新月のサークルでは、科学と目ざめの接近について分かち合いました 気づきのないところでは、絶えず創造や破壊、進化や退化が起こり続けるように見え、騒々しく思えるかもしれません 底なしのヴィジョンの中で、時には自らを、神や超越の存在と勘違いし、エゴのインフレーションが起こるかもしれません しかし、あらゆるサイクルの中にあっても、私たちは神としてではなく、ありのままの人間として、今ここに生きることができるでしょう

満月のサークルでは、気づきのないところ、内なるブラックホールについてさらに深い分かち合いが起こりました 自分自身を、もうこれ以上ごまかしたくない、欺きたくないと思い、真実を語り広めたいという気持ちが芽生えることがあります しかし、すでにすべてにゆきわたっているものを、これ以上広めることはできません 私たちはこの真実に気づき、今という現在を、そのままにしておくことの最上を知るのです 長い間、輪廻転生の物語の中に避難していたもの、自分自身がなくなってしまうという恐れと向かい合い、もう先延ばしにはしないと確かめあう集いとなりました

新月の集いの後には、これまでオープンサークルへご参加いただいた有志の方々のお声かけにより、エタニティへの感謝のパーティーを開いていただきました

私たちのイベントでは、すっかりおなじみとなった『3p.m.さんじ』さんのケータリングを、今回もご用意いただきました ”音の集い”ということで、お料理の中にも、美味しそうな音符が踊っています

「ささやかな音と感謝の集い」と題して、皆さんお1人お1人のハートからあふれる想いを、歌や演奏にのせて表現していただき、感動のやまないひとときとなりました

その中でも、今回ディジュリドゥでご参加いただいた稲垣遼さん 穏やかな呼吸から生み出される演奏は、これまで聞いたディジュリドゥの中でも、もっともやさしい音色のように想い、心が安らいでゆくのを感じました ただシンプルに今をあらわすことの素晴らしさに、あらためてその尊さを思う夜となりました 集いの最後には、みんなで『Let it be』を歌いました 「ただそのままでいい」というメッセージを、いつまでも忘れずにいたいと思いながら… ご参加いただきました皆さん、本当にありがとうございました

オープンサークルでは探求の旅について、山登りにたとえてお話しをさせていただいています 9合目からの最後の1合は、今まで手に入れてきたすべてのものを手放し、たった1人で進まなければなりません この真実に向き合う時、せっかく苦労し手に入れたものを手放すなんてと、怒って山を下りてしまう人もいます また、自分はもう何も持っていないと言いながら、しっかりと後ろ手に隠し持っていたり、本当に全部手放すの?と面食らうばかりだったり… 特に心の中の持ちもの、思考やイメージの中毒から抜け出せないことは、様々な苦しみの引き金となるでしょう 今この瞬間の中に丸ごとダイヴする恐さとともに、その勇気の尊さについての分ち合いが生まれました

また、最後の1合目で現れる様々なイリュージョン、トリックについての話しもありました 喉が渇ききった時に見る、砂漠の中の蜃気楼です つかんでもつかんでも、手の中からするすると夢は消えてゆくのに、それでもその先へ先へと追い求めてしまう そのむなしい努力に力尽きた時、私たちはようやく、源の中心へと還ることができるのでしょう どんなに嵐が吹き荒れていようとも、その中心はいつも穏やかで平和です それはちょうど、台風の目のように、あらゆるサイクルの中心の静けさをあらわしてくれているようです 今まで目を反らしていたものに、真正面から観てゆこうとするたくましい姿に、心が揺さぶられるひとときでした