日本では猛暑の盛りを迎えるころ、南半球では、冬の底がやってきます

今年は、シドニー郊外にあるブルーマウンテンズ国立公園にほど近い瞑想センターで、コースを坐るためお世話になりました

ユーカリの森が発する気体が、青い霧を生み出すことからこの名がつけられたこの地は、アボリジニの聖地の1つでもあります

アボリジニの伝説で有名な3つの奇岩、スリーシスターズ 美しい景観が広がります

かつてこの大地は、先住の民の楽園でした

彼らは、この地上で最古の文化を持つ民族ともいわれています
先祖代々受け継いできた天地創造の神話、ドリームタイムストーリーを大切にし、その叡智の足跡をたどり旅すること ードリーミングー が、彼らの生活や人生そのものでした

先代たちの物語にすべてをゆだね、文字を持つかわりに絵を描いたり踊ったり、歌を歌い継ぎながら後世に伝承した ”歌の道” そこに、先祖や精霊たちが遺した才気やこだまが今も存在するからこそ、彼らは旅を常とするのです

タスマニア島のとある聖所 古代では、巨石や磐座への信仰は万民共通でした

彼らにはまた、時間という観念はなく、過去や未来もすべて「今」に集約されています

天からすべてが与えられると信頼している彼らは、ほとんど何も所有することなく旅をつづけますが、唯一の持ちものの1つにイダキ(ディジュリドゥ)という楽器があります 物質より大事なものが、まさに歌 森羅万象から学んだことのすべてが、音(波動)に紡がれています

彼らが、古代の南インドから渡来した人々であることも、興味深い史実の1つですが、彼らの真正の道が無数に張りめぐらされたこの大地から力ぞえをいただきながら、瞑想にはげむ冬の日々を過ごしました

「real people」(真実の人々)と称されている意味が、心から理解できます 先住民の聖地には、なぜかウラン鉱脈が眠っていることが多いとも言われていますが、これらの地が荒らされる時、世界に悲しみが広がるであろうということを、彼らの神話はすでに警告していました

古代から多くの聖賢たちが黙想し、自然と一体となり万有との仲らいを続けてきた営み

この浄らかなヴァイブレイションが、今も変わらず遺されているおかげで、私たちは深い瞑想の修養を安心して行うことができます そして、それをただ静かに見つめる、限りない”慈しみ”という支えがなければ、私たちは宇宙のほんのわずかの真理にも、触れることはできないのです

暖冬といわれた今年のオーストラリア 一面の雪景色でおおわれる日もありました

テーラワーダの仏教国では、5月の満月にウェーサーカのお祭りが盛大に開かれます

彼らは毎月満月の日に集まり、ともに瞑想をしたり真理について語りあうポーヤ・デーを持ちますが、この望月は、祝福のヴァイブレイションがこの星をやさしく包みます

今月は、ニュージーランドと日本をオンラインでつなぎ、この祝祭の日をともに過ごしました

清浄の人生を歩むと決意した時、私たちはいくつかの宇宙の法則に従うことを宣誓します

このルールは、あらゆる時空にあまねく存在する決まりごとですが、人間がつくる法律とは比べものにならないほどの、まったき正当さ、無私の公平さをそのままあらわしています

その基盤は、どのような存在をも傷つけないこと 言葉によって、行為によって、そして日々の糧による活動によって、その実践が問われます

中でもいつも話題になるのは、3つめのお金にまつわるルールです この法則に背く人たちが多勢を占めるなかで、そこに染まることなく進んでゆくことは、時に難しいレッスンとなるかもしれません 目の前にある銭財が、一体どのような経緯を通じてやってきたものなのか 私たちはとくに注意を払って取扱ってゆく必要があるでしょう

多くの場合、私たちは日々の糧を多く摂りすぎてしまう傾向があります 搾取したものは、必ず返さなければならないのが宇宙のルールですし、最初からそのような過ちを侵さぬよう、細やかに気づきつづけることが大切なのです

自分以外の生けるものを傷つけている時、それは自分自身をも同時に傷つけているのです
自分自身を護っているつもりが、じつはさらに深傷を負っているのです

この深手を赦してゆくプロセスは、たいへんな手間と時間のかかるワークとなりますが、この難儀を通りぬけてはじめて、本ものの慈しみが私たちの内で花開いてゆくのです

ネイティヴブッシュに囲まれたサイレントヴァリー たゆみのない水と風が流れる聖所

わたしは今、ニュージーランドのヴィパッサナーセンターで、奉仕のお仕事をさせていただいています

瞑想者へ仕えることは、この地上での至上の仕事ともいわれます
何の見返りも報酬も求めることのない、無償のつとめ
わたしたちの本質のなかでも、もっとも清らかな行為の1つとされています

奉仕の仕事は毎日忙しく、笑いあり、涙ありの濃密な日々を送っています さまざまに異なるカルチャーがともに交わり溶けあって1つの成果をつくりあげてゆく道程は、どのような苦労があっても代えることのできない宝となります

ここは良質の湧き水にめぐまれた地で、清らかな自然の恩恵をたっぷり受けながら、日々心の浄化に専心できる最良の地です

どのような廻りあわせか、こちらのセンターに携わらせていただいていますが、時折、わたしのサーヴのタイミングにあわせて瞑想コースを坐りたいというお問合せをいただきます
今後はそのようなご要望にも、できるだけお応えしたいと思っています

冬のある日 お休みの日には近くのシェリービーチへ足をのばし、散策を楽しみます

火山や地震など、大地の変化の著しい今日この頃ですが、それに呼応するかのように、その変容を受け容れ軽やかに前進されてゆく方と、土地の呪縛の中へと巻き込まれ、身動きのとれなくなる方とのコントラストが、色濃くなっているように感じる日々です

新月の分かちあいでは、五大元素の1つである大地のエレメントについてのお話しをしました 物質の基本単位である地、水、火、風という性質の中でも、まず始めに出逢うレッスンは大地の要素です 日常のあらゆる活動、仕事や勉学に励むこと、日々の糧を得ること、出産や子育て、介護など家族の面倒をみることなどなど… 何万年とつづく地上の営みの中心、生命のたくましさを内包する学びです

この大地に根ざす輪廻のエナジーはたいへん強力で、このサイクルから自由になることは、真実の道を歩む上で不可欠なプロセスとなるでしょう 瞑想を通じて、心身の内も外も清らかな流れを生きながら、4つの要素を過不足なく体験し、それらが満ちることで、最終のプロセスである”空” ー 心の世界を超えてゆく準備が調ってゆくのです

満月でも同様に、この強力な輪廻の営みからの解放がテーマとなりました 聖なる道と呼ばれるこの旅路について、エタニティではまずはじめの一歩を、勇気をもって踏み出すことをラマナから学びます そして、この道の最後の一歩は、ブッダが明確に導いてくださるのです

最終のゴールまで惑うことなく歩むための、さまざまな体験が用意されるでしょう どの体験にも執着せず、私たちが、もう懐かしい大地へ還ることをやめ、真っすぐ純粋に道を全うすることのみが求められるのです

オープンサークルの終了後は、参加者の皆さん同士でお茶を楽しむ時間を大切にしています 心と体をゆっくりと感じ、真実の分かちあいの後の甘露を味わうひとときとしていただきたいことと、私たちの人生が、食べるものの集まりでできていることを体感していただきたい想いがあります

無苦庵さんでは、心づくしのありがたいおもてなしをいただき、火鉢の温もりやお抹茶のお点前をちょうだいしています このようなやわらかで平和なひとときが、世界中に広がることを、心から願いやむことはありません


今年はじめての分かちあいは、ラマナアシュラマムをともに旅した仲間が、川越でオープンサークルの準備をすすめてくれました

新月の午後、六甲とスカイプでつなぎ、無苦庵さんのスペースをお借りして、いつものように沈黙の中で集いがスタートしました

隠れ家のような古民家の静ひつな空間の中で、初めてエタニティに足を運んでくださる方々に、山登りの物語をお話します 最終地までしっかりと歩を進めるためには、手放してゆくこと、明け渡してゆくことは何よりも大切な実践となりますが、頭ではわかっていても、実際日常の中でその現実がやって来ると、私たちは大きく動揺し焦りを感じずにはおれません

物質世界から見ると崩壊や喪失の顕れですが、精神世界から眺めると、それは清算や解放が起こっています それまで手に入れてきたものが不要となり、待ちわびた大きな変容が訪れているのです

古(いにしえ)の修行者たちが、定住することなく遊行をつづけることで蓄財を遠ざけていたのは、所有することの危機から免れるためです 日常や人生が驚くほどシンプルになり、道すじがはっきりとしめされてゆくのです

満月の日は、この冬一番の寒波が到来し、この日もスカイプでのセッションとなりました

幸せや充足を求めても、外側で繰り返されるおなじみのパターンにうんざりし、疲労困ぱいでエタニティの扉をノックする方々もいらっしゃいます ようやく体験が満ち、少しずつ内へと向かう、よい準備が始まっているのです

何もしないで、ただ静かに心を観察して過ごすことへの憧れと疑惑が、止めどもなくやってきます それでも私たちは、内観と瞑想の大切さを変わることなく伝え、呼吸に気づきつづけることをともに練習してゆきます

1人、また1人と、新たな一歩を踏み出す方々を通して、初心に出逢う大切さを改めて思いました そしてそれは、すでに観察をたしかなものとされている、エタニティの先輩方の歩みが導く智慧でもあるのです

この新鮮な光景が、いつでもスタートでありゴールであることを目撃しながら、今年もまた、ふさわしい方々への口承の仕事が始まったことを実感するひとときとなりました

今年は冬至に間に合うよう、急ぎ足で日本に帰りました そして無事、これまでエタニティの集いにご参加いただいた方々をお招きして、新年のお祝いを開くことができました

新しい太陽の再誕生をお祝いする気運も、年々の高まりを感じますが、参加者の皆さんの瞑想も年ごとに深まり、聖なる沈黙の後に、パーティーのスタートとなりました

今回は、神戸三宮にあるモダナークファームカフェさんのケータリングにお世話になりました ベジタリアンのお料理の数々や、皆さんから寄せられた差し入れも加わり、今回も華やかなテーブルとなりました

今年は、インドでともに過ごした仲間たちからも旅の分かちあいがあり、その後の変容やうれしい報告が続きました 歌の披露もすっかり定番となり、それぞれ心の琴線に触れる楽曲を用意くださっていました 歌声にのせて、それぞれのハートが細やかに開いてゆくその様は、胸が温かくなる瞬間でもあります 私たちの心の暗がりに棲む閉ざされた記憶が、ゆっくりと溶けてゆくのを垣間みているようです

大地が息を吹き返す新しいめぐりが、今年もスタートしました

デザートには天然酵母の2種のシュトーレンも加わり、じっくりとした甘みを味わいました

***

今年もさまざまな場面で、エタニティと出逢い分かちあいをいただき、
本当にありがとうございました

今年いただきましたご寄付の総額は、12/30現在で123,000円となります(端数切捨)
(外貨でのドネーションは、いただいた時点のレートで換算させていただきました)
運営費の92,000円を差し引き、残金は62,000円となりました

運営費の内訳は、オープンサークルのお茶菓子代と会場費、サイレントリトリートの宿泊費、ラマナアシュラマムガイドの謝礼、ニューイヤーパーティーの食事代、ホームページの管理費として使わせていただきました
残金の半額31,000円を、ラマナアシュラマムへ寄付させていただき(送金手数料を含む)、残りの31,000円は来年度の運営費として繰り越しをさせていただきます

今年も皆さまの温かなお心づかいをいただきましたことを、ここに深く感謝いたします
本当にありがとうございました
そして来る年も、どうぞよろしくお願いいたします

わたしが今回、30日間のセルフ・リトリートを過ごしたのは、グジャラート州カッチ地方にある瞑想センターでした 砂漠地帯の中にあるオアシスで、ヴィパッサナーの全き垂線にささえられ、かけがえのない瞑想三昧の日々を過ごしていました

この州は、敬虔なジャイナ教の人たちが多く住むことでも知られています 彼らは厳格な菜食主義や不殺生、非暴力を守っており、ここはまた、言わずもがなのマハトマ・ガンディーの故郷でもあります

「インドの自由は、ここから始まったんだよ」 地元の人たちが、誇らしげにわたしに語るのがとても印象的です わたしはすでにデリーで、彼の墓前に挨拶を済ませていましたが、数年前、偶然糸つむぎの手ほどきを受けた際、”何故、彼のチャルカ思想が、わたしの元にもやってきたのだろう…” と、不思議に思ったことを想い出していました

部族や家系に伝わる伝統の図柄を、昔と変わらぬ手法で丹念に織りあげてゆきます

街はずれの村々には、アウトカースト(不可触民)の人々が住み、ガンディーは彼らのことを「ハリジャン」(神の子)と呼び養護しました インドを旅していると、この身分制度についてはどうしても触れざるを得なくなります 信仰と複雑に絡みあった人間のルールは、宇宙の真理からはほど遠くかけ離れていることを改めて思いながら、彼らの伝統の美しい手工芸の数々に、すっかり心をうばわれていました

ガンディーは、ラマナと同時代に生きたインドの偉人ですが、彼はアルナーチャラを訪問することを切望していたと耳にしました ラマナアシュラマムのダイニングホールにも、彼の写真が飾られていますが、その想いはついに実現しませんでした 一説によれば、政治活動に力を注ぐよう、側近たちが必死に食いとめた、というのです もし2人の会見が実現していたら、インドの歴史も、少し変わっていたかもしれないですね

聖なる鳥として敬われる孔雀 真実を伝えるモティーフとして変わらず伝承されています

ここカッチ地方には、インドでも有数のハンディークラフトヴィレッジが点在し、美しいテキスタイルを求めて、世界中からバイヤーや愛好家たちが買いつけにやって来ます 紀元前から続く伝統の技は、女性たちの手によって大切に守られ、受け継がれてきました

古代の賢女たちは、宇宙の真理を1枚の布に織り上げ、子々孫々に継承したと言われています そこにはいつも「Tree of Life」(生命の樹)が刺繍されているのですが、わたしの訪ねた集落では、1対の孔雀が図柄として描かれており、それはわたしの興味を大いにひきつけるものとなりました

村の女性たちは、美味しいチャイやグジャラーティー・ターリーを給仕してくれ、次回の訪問では、糸つむぎや機織りの手ほどきをしてくれることを約束してくれました ここは、良質な綿花がとれることでも有名なのです また1つ、わたしには還る場所ができたようです

老賢女と呼ぶにふさわしいたたずまいの村の女性 深く鋭いまなざしが印象的でした

男性賢者をめぐるインドの旅路も、そろそろ終わりに近づいてきました 彼らからの、一分の狂いもない教えは、わたしの心と体を真っすぐに貫き、目の前に続く1本の道を、さらに明るく照らしてくれるものとなりました この深い味わいを反芻しながら、これから用意されるタイミングの中で、多くの方々との分かちあいが生まれるであろうことを想いながら、帰国の途についたのでした

南インドを後にし、わたしは一気に針路を東にとりました

数年前、友人の尼僧に見せてもらった、1枚の写真があります それは、ゴータマ・シッダッタ、のちのブッダが悟りを得るために6年間修業をした山並みの風景でした

その荒涼とした情景を見た瞬間、わたしの目は釘づけとなり、その後自然と涙があふれたのです この時、きっと将来この地に立つのだろうと予感したのですが、ようやくその山、Mahakala Mountain(前正覚山)を訪ねることができたのです

周知のとおり、その後彼は悟りを得られぬまま、ウルヴェーラーのセーナー村へとおり、そこでスジャータという娘からキール(乳粥)の供養を受けます その後ネーランジャラー河で沐浴をし、菩提樹の樹の下に坐って瞑想に入りました 満月が沈む、明けの明星が輝く暁に、ついに”最終地”へと到達されたのです

山をおりた先には、セーナー村ののどかな田園風景が、今も変わらず広がっています

わたしは早朝にセーナー村を出発し、彼が6年間坐っていたケーブの中で、1人瞑想をはじめました そこには、彼の真っすぐな想い、純粋さしか遺されていませんでしたが、そのあまりの清らかさに、時の経つのも忘れ鎮坐していました 誰の心にも存在するピュアな萌芽 それが波立ち震えはじめる時、その衝動をとめることは、もはや誰にもできないのです

その後、わたしはブッダがたどったままの足跡を歩みながら、ガヤの町へと入りました 今では、世界中の仏教徒が訪れる揺籃の地 各地からの巡礼客でにぎわい、各国のお経が、まるで1つのハーモニーのようにやさしく響きわたっています わたしは大寺院の菩提樹をながめながら、解放へと向かうすばらしい瞑想法を授けてくださったことに、深い感謝を捧げたのでした

マハーボーディーテンプルの脇の菩提樹に向かい、皆が瞑想しお経を唱えます

***

毎朝、セーナー村から望む朝日を浴びながら、スジャータ・ストゥーパで瞑想することが楽しみとなっていたのですが、後ろ髪をひかれるように次の訪問地、ヴァラナシへと向かう列車に飛び乗りました ここは、言わずと知れたヒンドゥーの一大聖地 すべてを受け容れ飲みこむ大河が、雄大に横たわっています
列車に相席した人が、わたしに耳打ちします 「ガンガーが、見えてきたよ」

ガンガーの早朝 対岸から昇る朝日が、ガートを真っ赤に染めてゆきます

沐浴をする人の横では、洗濯屋が仕事に余念なく ゴミをあさる牛のその先では、死者を火葬する黒煙が、絶えることなく立ち昇っています この母なる河には、インドのすべてが詰まっているといっても、決して言い過ぎではない日常が、凝縮されています 夜には、花灯籠を浮かべ祈りを捧げる女性たちのすぐそばで、ナイトプージャが毎夜盛大に催されます

ガートに座って人々の営みをのんびりと眺めながら、この大河が営々と為してきたなりわいに、思いを馳せていました そして、ずっと火照っていた心と体も、少しずつガンガーの流れに洗われ、冷まされ鎮まってゆくのでした

ヴァラナシの郊外には、ブッダが初めて説法を説いた地、サールナートがあります ブッダガヤで成道を果たした後、かつてともに修業をしていた5人の友人のもとへ赴き、この北郊の鹿の園で真理を説かれたのです

どういうわけか、日本の若いバックパッカーたちが、瞑想を教えてほしいとわたしの後について来ます 急きょ小さなツアーとなって、私たちはかの地に到着し、沈黙のなかでダメーク・ストゥーパを廻りながら、一緒に坐ることとなりました

ヴァラナシの喧噪とはうってかわって、穏やかな空気の流れる平和な聖地 若者たちは目をキラキラと輝かせ、束の間の分かちあいを楽しんでいるようでした

「初転法輪」の地 その教えの1つは、二極にとらわれない「中道」の大切さでした

インドの新年である、ディワリの新月が近づいていました 漆黒の闇夜が、キャンドルの光で埋めつくされるこのお祭りは、別名”光のフェスティバル”とも呼ばれています

万人の霊性の闇を光で照らすことを象徴する祝祭とも言われ、豊穣と収穫の女神に祈りが捧げられます わたしは夜行列車に揺られながら、次の訪問地である西の果て、グジャラート州はカッチ地方をめざしていました

かつて天竺と呼ばれた、遥かな地インド どれほどの真理探求者たちが、この地を遠く仰ぎ見、夢みたことでしょう 多くの聖賢たちが、かの地へ向け命がけで出立しましたが、今ではエアチケットを手に入れれば、誰でも簡単に訪ねることができます そんな時代でも尚、この国は、純粋な求道者たちにとって、避けては通れない悠久の大地となっています

ラマナアシュラマムのメインゲート 早朝から、瞑想ホールへ向かう人たちに開かれます

ラマナアシュラマムの正門をくぐるのは4年ぶりですが、今回は、初めてインドを訪れる仲間たちと一緒です いつも現地の方からうかがうことですが、初のインド来訪で、まっすぐアルナーチャラへ来る者は、たいへん幸運である、と…

4年前のわたしにも、そして今回の参加者の皆さんにも、同じ言葉がかけられました それほどこの地は、インドの人たちにとっても、特別な場所なのだということを物語ってくれます

アシュラマムの空気に触れると、それがどんなに鈍感だと称する人にとっても、即座にバガヴァーンのやわらかなもてなしに気がつかれるでしょう 世界各国からの巡礼客に開かれたこの地で、満月期のピルグリムがスタートしました まずは、ゆったりと流れる南インドの時間に着地していただきながら、バガヴァーンが臨終の最期まで過ごされたアシュラマムの各所を見学し、各々好きな場所で瞑想や内観のひとときを持っていただきました

女性たちは、昨年オープンしたばかりの「モーヴィーゲストハウス」にお世話になりました

今回、私たちのグループのガイドをお願いしたシリウス・マハナンダ 鈴木さんは、長年に渡るアシュラマム長期滞在者であり、熱心な信奉者のお1人です 彼のウェブサイトから情報を得、アシュラマムを訪れる日本の方々も数多くいらっしゃいます

アルナーチャラを一望できる素晴らしいスポットをご紹介いただきながら、満月の日には、バガヴァーンの日本語訳本を多く手がけておられる福間巖さんのガイドで、皆でアルナーチャラヒルにのぼりました 現地では、プンジャジからいただいたホーリーネーム「チャンドラ」さんというお名前のほうが、ずっと通りのよいことでも知られておられます

朝日に照らされた、スカンダアシュラマムまでの森閑な道のり そして夕刻には、丘の麓で彼を囲み、サットサンガが実現しました 福間さんの、ストレートで純粋なまなざしは、わたしを含むすべての参加者の心の中核を、深く真っすぐに貫きました

福間さんを囲み、アルナーチャラの丘で満月の日の分かちあいが生まれました

彼自身から語られるプンジャジとの想い出 「今ここの、純粋な気づき」の大切さ アルナーチャラ(真我)が、全ての責任をとり面倒をみてくれるという、ゆるぎない確信 「観ている者は誰か、それを観なさい」 ー 言葉ではとうてい語り尽くすことのできない、至極の叡智の数々は、私たちの血肉にしみわたる教えとなったのでした

そして、シヴァ神の信奉者たちがアルナーチャラを大巡礼する混乱を避けて、翌日にギリプラダクシナを行いました この火の山のエナジーはたいへん強力で、歩きはじめるとすぐにその熱を感じ始めます 終わった後には、発熱でダウンする方もおられましたが、それもまた、この山からのかけがえのない恩寵なのです

アルナーチャラから望む大寺院 ここを中心にティルヴァンナーマライの町が広がります

今回、もうお1人の日本人信奉者であるシューニャさんこと崎山綾子さんとの分かちあいが実現したことも、私たちにはありがたい恩恵でした アルナーチャレーシュワラ大寺院をガイドしてくださり、ラマナが最初に到着した東門を入って、千本柱廊の地下室を参拝 そして、沈黙の聖者グルムールタム像の前で、分かちあいが生まれたのです

雨期だとういのに、私たちの滞在中雨はほとんど降らなかったのですが、この時ようやく待望のブレッシングが降り注ぎました
内なる貴さに出逢うことの大切さ この国には、他の場所には決してない神聖さが存在していることを、彼女は深く熱いまなざしで問いかけてくださいました 

プンジャジのお御足から、アルナーチャラへと導かれた2人の日本の方々との分かちあいを通じ、師から子弟へと受け継がれる、連綿と流れる叡智の大河を想うのでした そして、その清流に身を浸すことができた私たちは、なんと幸せ者だったことでしょう

アルナーチャラの、決して絶えることのないかがり火は、参加者の皆さんのハートに確かな火を灯しました その後のそれぞれの変容も、計り知れないものとなりました 私たちをやさしく手招きくださったバガヴァーンに、最上の感謝と静寂を捧げつづけたのでした


*福間さんはバガヴァーンの教えに関する個人的な質問にはいつでもお答えしますが
 普段サットサンガは行っていません また師という立場もとっていません
 純粋な分かちあいのみです


スーパームーンと中秋の名月が楽しめる今回の満月は、久しぶりの葉山でオープンサークルを開きました

懐かしい街角を歩いていると、どこからともなくキンモクセイが香ってきます
今回はMOKSHA ayurveda centerのスペースをお借りし、おじゃまさせていただきました

こちらは葉山在住の折、ヨガやクッキングクラス、トリートメントなどで何かとお世話になっていたサンクチュアリです 変わらぬ南インドの空気感の中で、静かに分かちあいがスタートしました

真我探求と日常生活をつなぐことの難しさについて、最近とくによくご相談をお受けすることもあり、今回は「太極図」を用意して、ヒンドゥーの教えをベースにお話をさせていただきました

インドには、人生を4つの段階にわけるアーシュラマという教えがあります 前半の学生期や家住期は、物質世界の達成や充足を目標とすることで知られていますが、後半の林住期や遊行期への自然な移行が、今の時代はたいへんな困難を極めているといってもいいかもしれません

人生の前半は、所有することや獲得することをめざし進んでゆきますが、後半はまったくの反転、明け渡しや手放すことが最大のテーマとなってゆきます

この、精神世界への移行の途上では、それまであまりすすんで生きてこなかった側面や、避けて通ってきた事象が浮上してくることもしばしばです 真実はまるで、そこから逃げず、しっかりと反面を生きるようにと、叱咤してくれているかのようです この道は、きれいごとでもなんでもない、時に七転八倒するような出来事も数多く経験してゆかねばなりません

この2つの世界が1つの円を為し、溶けあうとき、人生の、あるいは、生命体の完成といわれる甘露の境地が開かれてゆくのです

集いのあとは、MOKSHAのサジンお手製の、南インドのおやつ”ウンダ”をふるまっていただきました やさしく甘いお米のお団子は、ひとときのネクターを享受する味わいでした
そして、来る満月へ向けて、すばらしい心と体の準備となる集いとなりました

緑深まる安曇野に、2年ぶりに帰ってきました
初夏のさわやかな風が舞う中、今年もサイレントリトリートを開催しました

集う方々との分かちあいも年ごとに深まり、私たちが一体何をしているのか、さらに明確となる今回のリトリートとなりました
皆の人生には、自然にさまざまな変容が起こり、坐ることが日常となる方もおられ、それぞれの成長に、目を細める場面がたびたびやってきました

私たちのしている仕事は、果てしない家族の物語を終息させてゆくことです それは1軒1軒の家を訪ね、壊してゆくこと とくに、男たちによって築きあげられてきた象徴を、女たちが静かに消し去ってゆくこと それは時に、家人や最愛の人との死に直面することでもあるのだと、実体験を通じ気づいてゆかれる方々との分かちあいが続きました そしてそれはさらに、民族や人類の壮大な物語の終焉へと大きく波打ってゆきます

ひっそりと木立ちに囲まれた「森の家」 静けさの中、内観と瞑想の日々を過ごします

このような険しい道を、もっと簡単で楽に歩く方法はないのでしょうか? 最近では、アドヴァイタの教師と名のる人たちでさえ、瞑想をする必要はないと教えているようです しかしそれは、賢者たちの人生を見れば、一目瞭然のこと 彼らは、直接体験ののち、そのことにあぐらをかいていたでしょうか? ラマナは、その後数年間、先達や友人を求めることなく、たった1人沈黙の中でそのことを確かめ続けました 坐ることが止むことは、決してありませんでした 彼らが実際に生きてみせてくれたことが、その純粋な答えです

坐ることは、太古の昔から、祖先たちが大切な叡智として、口伝を通じのこしてくれた宝物の1つです これは、私たちが子宮の中にいたころの記憶をたどり、それをそのまま生きることでもあります すべての必要が満たされた安全な時空 ーそれが洞窟であろうと小部屋やホールであろうとー その中で、ただ本質のままに生きる、最も純粋な在り様です ただ、自らを拠りどころとして歩む道へと続く、大切な智慧なのです

天然木のホールでは、日々の瞑想や分かちあいのひとときを過ごしました

今回は、セクシュアリティについての分かちあいも数多く生まれました これは、私たちが真実の道を歩く上で避けては通れないテーマです 近ごろ、女性性を活性するワークも花盛りだそうですが、多くの女性たちは、自分自身の本当の魅力に、いまだ気づけずにいます

自らの本来の美しさと出逢う女性は、決してその魅力を、何かをコントロールする道具に利用することはありません 細心の注意を払い、そのことが不当に使われないよう、気づき続けているはずです こうしてソウルメイトとのドラマも終わりを告げ、真の出逢いと友情に向き合ってゆく準備が調うのです

穂高養生園さんの畑で採れた、旬のお野菜が満載のお膳の数々

私たちが肉体として生まれてくる時には、必ず苦しみを体験します
それは内なる再誕生の時でも、まったく同じこと 苦しみから逃れようとするのではなく、その中へ飛びこんでこそ、真の解放がもたらされるということを、1人1人が確かめる機会がめぐってきているのです

内なるグル(指導者)は、その探求者の器にふさわしい技法(テクニック)を授けると言われていますが、エタニティでは、ヴィパッサナー瞑想へと通ずる「呼吸の瞑想」を、皆と一緒に練習しています この技は、真の苦しみと解放を実現する、すばらしい機会を与えてくれるでしょう そしてもちろんこの技も、最後には手を放し、明け渡してゆくものなのです